空耳日記

生きるための文字起こし

場所を巡る4つの物語(写真美術館)

本展は、複数の写真のシークエンスで構成される4作品を取り上げたものであった。
写真も絵も、基本的にはたった1枚の画面で、鮮烈な風景やイメージ、その瞬間や表情などを伝えるものだけれど、なかには連作というものがあって、1枚だけでは表現し切れないもの、あるいは複数のイメージをもってして伝わるものがある。
1つは、戦後間もないアメリカのとある田舎町で、町にたったひとりの医師が、町全体の医療を担っている姿を映したもの。毎日、朝から晩まで奔走し、ひとりで内科も外科も、はたまた赤子の取り上げも、老人の看取りもこなす。束の間の休暇に釣りを楽しんでいても、事故が起きたといって30分で呼び出され、怪我をした幼児の緊急手術をする。
写真のほとんどは、彼が多くの患者たちと接する姿を映したもので、作品は彼が朝早く、田舎道を出勤する場面からはじまり、最後はキッチンに寄りかかり、束の間の一服をする場面で終わる。一連の写真の中に、高台から町全体を映した風景があったが、彼にとってはこの町の全景が、どのように映っただろう?そんなことを感じた。
2つ目は、1950年代の軍艦島のくらしを撮ったものである。炭鉱に向かうリフトに乗り、仕事終わりにはススだらけの顔で、大浴場に着衣のまま、立ったまま入浴する坑夫のすがた。お世辞にも立派とは言えない鉄筋コンクリートのアパートの窓からのぞく住民。
さまざまな風景を組み合わせることにより、軍艦島の人々の生活感がリアリティをもって感じられた。
3つ目は、東北の土着信仰における厳しい修行の流れを追ったもの。暗闇の中、ロウソクの灯りで浮かび上がる不動明王らの神々や即身仏らの神秘的で厳かなイメージを何枚も重ねることにより、強い印象を、存在感を植え付ける。
4つ目は、2日間、午後の全く同じ時間に、10箇所の異なるポイントで、太陽の軌跡を写したもの。それも、場所を計算して、画面上でどの写真もほぼ同じ位置に同じ角度で軌跡が描かれている。場所が移り変わっても、太陽というものの見え方が普遍的であるということを感じるとともに、「写真とはシャッターをいかにうまく閉じるかである」という言葉が印象的であった。
4枚とも、同じ時間帯に異なる場所を移したり、一連の時間軸、様々な生活場面など、それらがシークエンスであってはじめて作品として成立していると感じた。