空耳日記

生きるための文字起こし

小説の感想を書く、ということ

最近、発表から1年近くが経つ作品をじっくり再読して、ようやく感想をまとめられるかなと思っていたところだが、また下書きフォルダに入れたままになってしまっている。
 
誰かの頭の中の創造の産物である文学作品に対して、感想、ましてや評論をするということは、実用書に対する以上に、敷居の高いことだと感じる。
何を書いても、それは私の主観になってしまうから、その主観を振りかざして、著者が心身を削ったり絞ったりして、時には苦しみながら生み出した世界観に対して「面白かった」「つまらなかった」などと書くのは軽率なんじゃないかと思ってしまう。また、こういうことが書かれている、などと断じてしまって、もし間違いだったらと思うし、かといっていちいち免罪符のように「私の考えでは〜」「〜と感じた」と文頭文尾につけるのもみっともない気がする。だったら、あらかじめ「以下は私の主観で〜」と、わざわざ前置きするかどうか。これもなんだか言い訳じみている。そんなこと書かなくても、レビューというのはそういうものだと、読み手全員に共通認識があると思いたい。
私はあまり、作品全体を総括したりするのは苦手なので、部分的なことや、作品の構成要素に対しての言葉を絞り出すので精一杯だ。「私はこの作品のこういう点に対して、こう解釈した」とか、「このシーンに対しては、こんな感情を覚えた」とか。
書き手としては、自分の表現したものに対する受け取られ方にはおそらく関心があると思うので、もし私の文章が書き手に届く機会があったなら、いち読者の感じ方として参考にしてもらえるだろうか。