空耳日記

生きるための文字起こし

「自分の物差し」を知る

久しぶりに、積読の小説を読了。以下、読みながら考察したことのメモである。(一部ネタバレあり)

 

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

 

・東大生のように、周りからも特別視され、肯定ばかりされるような存在になると、いつの間にか自分でも自分を特別な存在であり、自分の物差しが唯一と考えるようになり、それ以外の「自分より下の」他者のことを想像しなくなってしまう。

・しかし彼らは、彼ら自身の知的な素質のみでそうなったわけではない。そうした価値観は、家族や友人、ひいては社会との関わりの中で形成されていったものであり、東大に進む過程で人間関係が似たような層の中に限定されていくことによって、ますますエスカレートしていく。

・翻って、東大生たちを特別視する周囲の人間たちはどうだろうか。「東大生なんてすごい」(自分には到底かなわない、次元の違う人だ)と、自分より遥かに上の人々のことを、盲目的に評価したり、挙句には金や人脈目当てで近づいたりする。

・東大生と同じように、容姿端麗な女性も同じだと感じる。共通するのは、彼ら彼女らは、それ以外の人間が、ときに自らの自己肯定感を満たすために、近寄ってくるということである。東大生らはいつしか自分たちの肩書や容姿の価値に気付き、そこに自己肯定感の拠り所を求めてしまう一方で、そこにつられてやってくる他者の浅ましさに気付き、見下すようになる。

・親の経済力によって教育水準が左右されることが、結果として「超えられない壁」をつくり、その壁は代々維持されていくことになる。その壁を越えるための鍵は他者への想像力だと思うが、固定化された周囲の人間関係が変わらなければ、なかなか想像力の壁を打ち破ることはできないだろう。

・この作品の興味深いところは、東大生による強制わいせつ事件に至るまでの過程を、当事者たちの過去に遡り、中学時代からの思考過程やふるまい、言葉の端々を順を追って描写しているところである。

・作品としては、最後、ヒロインの尊敬する教授が、ヒロインの痛みを分かち合うシーンに救われる一方で、加害者たちがヒロインの痛みを感じることのできないまま、東大を退学になったことで大きくキャリアに傷がつくことなく、いずれ社会に出ていくと想像されるところに、どうすることもできないことへの虚しさを感じた。

・彼女が、示談の条件を「東大を自主退学すること」としたのは、彼女の中では東大こそが人生における最良の選択肢で、そこを退学させることで相手のキャリアを挫折させる(=人生にダメージを与える)こと、という考えがあったからだと想像している。示談を受け入れるか否かの、各加害者の判断の違いにもまた、それぞれの経済的・あるいは価値観のバックグラウンドが反映されている。

 

今回は、主に東大生と中堅女子大生との話だったが、こうした「自分とはまったく違う人生や価値観のもとで生きてきた人間」に対しては自らの物差しを当ててレッテルを貼るだけで、それ以上のことは想像しない、しようとしないという場面を、実生活でもインターネット上でも、どれだけ見てきたか分からない。そしてそれは、社会的マイノリティを巡る問題において、多数派、少数派の双方に同じことが言える。一方的に相手を攻撃し、否定することからは、深い分断が生まれるのみだと感じる。

私も感情的になってしまった時、無意識にそうした振る舞いをしていないだろうかと思うことがある。「自分の物差し」の存在を自覚して、他者のそれと相対化しようとする試みを続けていきたい。